『子宝に漢方で巡り合いたいと思い、漢方薬局に初めて足を踏み入れる。
その時に、何とも言えない薬膳たちの香りに、なんだか懐かしいような怪しいような気分が湧き上がってくる。
それでもなぜか、その匂いの先に可能性を信じずにはいられなくなる。
なぜならそこには、哲学があるから。』
子宝を漢方によって得ようとするとき、改めて感じる歴史の奥深さと哲学の存在。
子宝を漢方で、なんて最初はバカバカしい思い付きかと自分で思っていたとしても、東洋医学の哲学を前にすれば、それは決して夢ではないのだと信じられます。
最初に、子宝と漢方のことで聞かされるのは、「自分のカラダを見つめなさい」ということ。
自分のカラダを見つめ、そこが子供にとってふさわしい場所であってはじめて子供を望むことができるのだという事。
妊娠を望むと、そのことに夢中になり、現実よりも、「妊娠」が目標になってしまう事が多い中で、この哲学にははっとさせられました。
「自分自身が健康であろうとすること」こンなあたりまえの人間らしい価値観さえ、時に危うくなってしまう現代社会。
時には東洋医学に触れ、その哲学を感じてみるのも悪くないかもしれません。
子宝へ漢方が願う事。
それは、未来そのものです。
子宝も漢方も、長い歴史をずっと受け継がれてきた命です。
(参考ページ)子宝漢方
今あるもの、これからあるもの。
その両方を大切にするというのが、子宝と漢方のつながった考え方です。
そんな中で、子宝に漢方が願う事は「健康な明日」ではないでしょうか。
「健康は、一日にしてならず」人生をかけて、健康を考えていく、生きる事とは、健康であること。
東洋医学はそう言っているのです。
だからこそ、子供を願う親たちの、西洋医学的な攻撃的価値観を危ぶんでいるのでしょう。
自分のカラダを痛めつけ、心を痛めつけ、涙を流し、血を流す。
そんな風にして子供を求めることに、悲しさを覚えるのでしょう。
自分の健康を見つめなおし、幸せを見つめなおし、まだ見ぬ子どもの健康と、健やかな成長を願い、環境を整え続ける。
これが、本当に親としてやってあげるべきことなのではないでしょうか。
もちろん、価値観は人それぞれです。
しかし、自分の子供を想像した時に、すでにもうその子は、心の中に生まれているのです。
物理的に誕生せずとも、その幸せを願い、その子のために最大の努力をするというのが、本当の親としての務めなのかもしれません。